鉢形城跡 散策 埼玉県大里郡寄居町
令和3年(2021)4月12日 晴 参考地形図 寄居
歴史資料館の駐車場へ行く前に名勝[玉淀]へ寄る。城跡を玉淀河原から眺めれば、高さのある河岸段丘上に築城されたのがよく分かる。県道30号が通っている辺りが、城の北端になる笹曲輪とある。先ずは鉢形歴史館で情報を入れてからと向かう。しかし休館日だった為、大雑把な知識のまま散策を開始する。
本曲輪を対岸から |
中央辺りが笹曲輪端 |
鉢形歴史館(駐車場から) |
  
駐車場・休憩所・歴史館は外曲輪と呼ばれる広大な敷地の南に位置する。堀は水堀だったらしいが、埋まり浅くなっている。土塁跡も低くなっているが、いまだに長さ・高さも十分に感じられる。
  
歴史館脇から深沢川に下り、橋を渡れば対岸の曲輪に。深沢川から両側を見上げれば、深さ10m・幅数十m位の堀を思わせる。渡った右手には大きな土塁が、外曲輪からの侵入者を防御するものか。
  
渡った先は広い平坦地で、右に高い土塁(後ろは深沢川)と左手は二の曲輪に続く馬出側の曲輪が迫っている。正面には本曲輪(伝御殿下曲輪)南東端の土塁がある。右にやや下れば虎口跡と思われ、深沢川を越えて外曲輪になる。左に上れば城内を縦断している道路にでる。
左は土塁・中央右は小曲輪 |
外曲輪側から |
中央に道路 |
  
道路向こうには本曲輪(伝御殿下曲輪)南の平地、先には伝御殿曲輪の南端が眺められる。伝御殿曲輪下には堀跡が続いている。散策路として設けられた階段を上れば、伝御殿下曲輪の南隅に出る。
本曲輪の南端 |
本曲輪(伝御殿下曲輪)の堀 |
上った先で振り返る |
  
左奥には土塁の一部が残っている。伝御殿下曲輪は三段になっており、ここが一番高い。
  
鉢形城本丸跡の石柱がある後ろにも土塁が見られ、土塁の先は眼下に荒川・寄居市街などが、新緑の樹間から眺められる。また近くに川原石らしきものが多く集められている。公園整備するときに集めた、何かの遺構だろうか。
  
鉢形城本丸址の表示石柱から北に行った場所に休憩所が建てられている。目の前は他に比べ木が少なく、荒川・玉淀河原・市街地・奥の山並みが眺められる。
  
休憩所の北側は直ぐ堀状で分断され、先へ続いている。下曲輪跡へ下りれば、下曲輪と御殿曲輪との高さがよく分かる。そこに堀を設けて防備している。北へ行けば狭い平坦地が続き、一段低くなり広場になる。広場には休憩所と城の模型が設置されている。笹曲輪と呼ばれる場所はここを含めるのか、正喜橋からの道路で分断された先が跡地だったのか。道路向こうは民家になっている。笹曲輪東の搦手橋付近から外曲輪北東辺りも遺構があるらしいのだが、今回は行けなかった。
伝御殿下曲輪を |
本曲輪東の(切岸)と堀 |
笹曲輪方向 |
  
下ってきた斜面側には崩れているが石垣が見える。本曲輪を通り二の曲輪へ向かう。本曲輪の伝御殿下曲輪も道路が縦断している。道路東から深沢川までの間は民有地らしく、施設・柵もあって入れない。城山稲荷神社参道から二の曲輪へ進む。
  
参道と二の鳥居はほぼ土塁の上か下を通っている。参道を直進すれば、正面階段の上に社殿が建っている。社殿の建つ場所は土塁跡で高さがある。社殿の右手は二の曲輪西虎口になる。
二の曲輪 右は土塁 |
二の曲輪 一景色 |
神社の先は西虎口 |
  
縦断する道路へ一度戻る。道路の向こうに判断しづらいが馬出跡がある。
  
二の曲輪と三の曲輪を分かつ空堀、発掘調査での深さは最大12mあったようだが、安全を考慮し浅く復元している。
  
馬出から二の曲輪へ向かうには、土橋を越え、やや上って城山稲荷社横の虎口に出る。
二の曲輪への土橋 |
西馬出からの堀 |
三の曲輪から見た馬出 |
  
三の曲輪(伝秩父曲輪)には土塀・四脚門・四阿(アズマヤ)・丸い川原石で補強した土塁・庭園の池跡など整備されている。南の土塁は高く、丸石で六段に葺かれている。
伝秩父曲輪 四脚門 |
伝秩父曲輪 四阿 |
伝秩父曲輪 土塁 |
  
伝秩父曲輪から西方向の眺めも良い。四脚門前の左には櫓台跡がある。櫓台と伝秩父曲輪の土塁との間が虎口になっている。
伝秩父曲輪から西方向 |
三の曲輪 櫓台跡 |
三の曲輪 虎口 |
  
諏訪神社の建つ曲輪へは土橋を渡る。正面に本殿、左土塁上には境内社?が建っている。境内社の左手は参道になっているが、本来は土塁が回っていたのだろうか。本殿裏には空堀があるが、一部が土橋になり曲輪外に出られるが、木々・低木など多く道はなくなる。
  
諏訪曲輪前から伝逸見曲輪へ向かう。土橋を渡り右は一段高くなっているが、法面(斜面)・上の平坦地が整備中であった。
伝逸見曲輪方向 |
伝逸見曲輪の土橋から左を |
伝逸見曲輪北の堀 |
  
広大な堀跡には島があり、弁天社跡と呼ばれる。草が生えだしやや地形が分かりづらい。散策路になっていないが二の曲輪東の馬出辺りまで行ける。
堀跡にある弁天社跡か |
伝逸見曲輪を眺める |
伝逸見曲輪側から馬出方向 |
  
諏訪曲輪から南へ、八高線を渡り車道を渡れば、左側に伝大光寺曲輪の西側堀跡が確認出来る。戻り車道を駐車場に向かうと、右手に鉢形城跡の旗指物が出てくる。柵が置いてあり進入可能か迷ったが、入らせて貰った。右が一段高くなっており桜などが植えられている。
伝大光寺曲輪 西側の堀跡 |
伝大光寺曲輪跡 見学口 |
曲輪は私有地 |
  
伝大光寺曲輪の南は堀で区切られている。民家から出てきた男性に、勝手に入ったことを謝罪する。男性の話では民家の裏で大手門の跡が発掘されたが、埋め戻されているとのこと。車道に出れば伝逸見郭の幅広な堀跡、深沢川方向には土塁などが確認出来る。
曲輪南の堀 |
線路の先が西側堀跡 |
深沢川方向に見える土塁 |
  
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