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名古屋城跡 散策    名古屋市
平成30年(2018)9月9日 雨/曇

  午前中は尾張瀬戸駅周辺で開催されている「せともの祭り」に出かけ、帰路は名古屋城跡に立ち寄った。瀬戸線の東大手駅から東大手門跡へ向かう。駅裏手には三之丸の堀が見られる。東大手門は清水口とあったのか橋は清水橋(志みづはし)が架かっている。左の石垣と反対側の石垣がかなり離れているようだが、昔の状況が分からない。
名鉄瀬戸線 東大手駅の内 駅裏の三之丸空堀 東大手門跡一部


 清水橋から見える堀に1976年(昭和51年)廃止まで瀬戸線が走っていたとある。市役所方面へ200メートルで大津通りに出て、通りを渡った先が二之丸の南東になる。脇には地下鉄東山線の市役所前駅の出入口があり、瓦葺きの門風に造ってある。二之丸東鉄門跡方面に堀沿いに[金シャチ横町]と書かれた飲食店エリアがあり、二之丸東鉄門跡入口手前まで続く。
清水橋から南を見た堀 二之丸南東の堀と石垣 金シャチ横町


 二之丸東鉄門跡前から名城公園へ向かう。二之丸北東隅の石垣辺りで水堀が目に入る。
二之丸東鉄門跡 東鉄門跡 横から 二之丸北東隅から水堀


 古地図には御深井丸と記されているが、築城時は北から西にかけては湿地帯だったとある。築城から数十年で乾燥化が進み、家が建ってきたともある。古地図にも道路が走り、町が形成されている。名城公園に入る手前で遠くに天守が見えてくる。@は公園のやや進んだ場所から、Aは左手に工事中の塩蔵構跡、Bは御深井丸石垣が右に。
名城公園側から@ 名城公園側からA 名城公園側からB


 公園から道路に出て西へ行けば戌亥櫓(西北隅櫓)に近づく。幅広な水堀が際立つ。南に向かえば御深井丸と西之丸との境の堀が奥に入り込んでいる。
名城公園側からC 戌亥櫓(西北隅櫓) 右−西之丸 左−御深井丸


 少し先で再度天守が見え出す。堀の水位を保つための遺構らしいが、辰之口水道大樋がある。先はやや登りになり、門跡らしい石垣が現れる。右手奥には堀川がある。
辰之口水道大樋手前から 辰之口水道大樋遺構一部 水道大樋先の虎口跡か


 ここから南下し三ノ丸堀内に1976年(昭和51年)廃止まであった瀬戸線の堀川駅跡を観ようとしたが、能楽堂から西之丸大手門(正門)へ向かってしまう。能楽堂手前には清正像、右手に篠島の矢穴石(切り出し途中の)が飾ってある。奥に能楽堂があり、幾組かの名が記されている。
清正公像 篠島の矢穴石 能楽堂


 能楽堂の隣は駐車場で大型バスが多数駐まっている。さらに金シャチ横町の正門エリア「義直ゾーン」がある。なお東門エリアは「宗春ゾーン」と言う。駐車場の先には二之丸西鉄門があるのだが、金シャチ横町と共にスルーしてしまった。
正門手前からの堀 正門前の土橋手前から 正門 土橋から東の堀


 修復等で立入禁止区域が4箇所赤枠で掲示されている。天守内が見学出来ないことは報道等で知っていたが、西之丸・御深井丸の一部、搦手馬出・塩蔵構が入れない。500円の入城料を払い復元門を潜ると、未申櫓(西南隅櫓)が目の前に、奥に辰巳櫓(東南隅櫓)が眺められる。
赤枠内立入禁止 正門 西之丸大手 未申櫓と辰巳櫓(奥)


 西南隅櫓から北の御深井丸へ向かうが、殆どの人は東南隅櫓の手前の本丸表門から見学するようだ。
西之丸南の土塁 未申櫓(西南隅櫓)と奥に天守 堀の先に辰巳櫓(東南隅櫓)


 見学者の流れに逆らい御深井丸へ。左手一帯は工事中。天守が大きく見えだし、石垣に組んだ足場が目立つ。西から入り込んだ堀で西之丸と隔てている。御深井丸側は土塁で一段高くなり、道も折れているので門があったのか。
天守 御深井丸の案内 深井丸土塁から西之丸石垣


 回り込めば天守が目の前にそびえ立つ。不明門に向かった北側からは堀を挟んで名城公園が眺められる。御深井丸の北東の櫓台跡と思われる石垣が見える。
天守石垣を覆う足場 深井丸北側から 御深井丸 北東の櫓台跡か


 周囲には天守礎石が展示され、天守再建にあたり、礎石を移し敷設再現したと説明板に載っている。礎石の端に井戸跡があるが、説明にないので位置を再現しただけかと思う。さらに奥に石室がある。説明板には島根県松江市にあった団原古墳の石室とある。名古屋市へ寄贈されたようだが、何故愛知県にあるのか分からず。
天守礎石 井戸 石室


 本丸の不明門に向かって左手に、塩蔵門跡があり石垣で枡形を形成している。門跡方向へは立入禁止で、塩蔵構等の工事用に使っているらしい。不明門を潜って本丸内へ。天守前広場に特設会場が準備され、野外オペラ・トスカの公演とのこと。
塩蔵構への枡形 不明門(あかずのもん) イベント準備中


 搦手門の枡形石垣に[清正石]がある。清正と呼んでいるが、実際の普請担当大名は黒田長政らしい。曲がった先には外門があり、旧二之丸東鉄門を移築したとある。門の先、土橋を渡れば搦手馬出で、殆ど工事中だが、堀沿いを通って二之丸に行ける。
本丸搦手門跡 清正石 搦手外門(旧東鉄門)


 今年6月から第二期公開の[対面所・下御膳所]を含む本丸御殿を見学に100人程の列に並ぶ。襖絵・欄間・天井・釘隠しなど、よくここまで手間と時間を掛けたと驚かされる。フラッシュ禁止だが撮影は可能なため、出てくるまで20分要している。
本丸御殿 車寄 本丸御殿 本丸御殿

本丸御殿 本丸御殿 本丸御殿上洛殿


 本丸表一之門跡へ向かえば、列は更に延びて本丸表二之門を越えている。二之門は現存する門で、出た先には馬出があったが、明治期に埋められてしまう。辰巳櫓(東南隅櫓)側に向かい、二之丸庭園へ。
本丸表一之門跡 本丸表二之門 本丸表二之門(二之丸から)


 辰巳櫓(東南隅櫓)から北に行くと、搦手馬出を通り本丸搦手門跡へ続く。堀に沿って進むと埋門跡に着く。説明では城主の緊急脱出用と書かれている。先の名城公園側に練塀の[南蛮たたき鉄砲狭間]が遺っている。
左は搦手馬出 埋門跡を上から 南蛮たたき鉄砲狭間


 二之丸庭園には築山があり、一つには石組みの滝らしきものがある。幾つかの池は庭園の整備中で水が抜かれている。
二之丸庭園 二之丸庭園 二之丸庭園


 庭園の東門に近い場所に那古野城跡の碑が建っているが、信長の生誕地な為か。二之丸東鉄門跡も広い枡形になっている。こちらから出入りする人は、正門に比べ少ない。堀を越えれば右手が往路で通った金シャチ横町になり、100メートル強先の市役所前駅から名古屋駅に向かう。次回に機会があればスルーした遺構を含め、一箇所に時間を掛けて見学したい。
那古野城跡の碑 二之丸東鉄門跡 金シャチ横町


参考:せともの祭り・犬山城の散策ページへ

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