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本佐倉城(内郭下根小屋・セッテイ山・東光寺ビョウ・東山・城山)散策
令和5年(2023)2月2日 曇り     参考地形図 酒々井

 内郭南麓の根小谷から時計回りでセッテイ山方面に向かう。途中に水の手があるのだが、標示がなく見過ごした。僅かな凹みがあったらしい。
根小谷の終わり辺り 登り途中 登った先・左下は堀


 登りきるやや手前にセッテイ空堀の標示がある。竹が多少生えているが、城内最大規模の堀と記載されるだけある。道はセッテイ堀に下り、先でセッテイ虎口と東光寺ビョウへ下る分岐になる。
セッテイ堀の一部 北から、堀の始まり セッテイ虎口は右奥へ


 右へ回り込めばセッテイ虎口で、左右の土塁で狭くなる。道はセッテイ山裾に付けられ、東光寺ビョウ側には低いが土塁を確認出来る。
セッテイ虎口 虎口先の左下 右セッテイ山の道


 周囲は竹林の小径と名が付けられている。訪問時は伐採中で奥まで入れなかったが、上にはセッテイ山名の標柱が立つ。資料には、人質郭とも接待とも推測されている、と載る。先の倉跡間の空堀も規模が大きい。堀底を歩いたが、下草・木が伐採され歩きやすい。堀底を北に行けば南奥虎口に出て、東光寺ビョウが広がる。虎口の土塁は低くなっているが十分に確認可能。
竹林の小径の一部 セッテイ山の一部 セッテイ東の堀

セッテイ・倉跡の堀 右は倉跡 南奥虎口(土塁の手前)


 案内所で聞けた話。東光寺ビョウの名の由来は、パンフレットにもあるが、ビョウとは突出したと言う意味らしく、確かに東光寺ビョウの左右は突き出ている。東光寺があった記録はなく、酒々井にもないが、匝瑳市に同名のお寺があるが関係はないと言う。東光寺ビョウの西端に土塁があり、セッテイ空堀へ続く虎口があったようだ。進むと堀となり、セッテイ虎口・空堀の分岐に出る。南奥虎口から段上を通り東に向かう。
虎口手前から東光寺ビョウ 東光寺ビョウの端 セッテイの入口

堀底を歩く セッテイ堀に出る 南奥虎口の右段差


 東山虎口前から東には帯郭が続く。虎口から城内へ。左右の高い土塁を通り城内側から門跡を眺める。土塁に登れ上からは東光寺ビョウ・直下の帯郭が眺められる。さらに東に道(尾根に思えるが)が続き、北に突き出た支尾根には堀切が確認できる。
東山虎口北側 東山馬場に向って 馬場から虎口

土塁の上・下に帯郭 東光寺ビョウ方面 北に突き出た尾根の堀


 東山馬場に戻りW郭虎口を過ぎ、城山の入口から大堀切に入る。一番高くなった場所に門跡で、先はやや下り加減になり丁の字になる。右は奥ノ山へ、右は城山虎口へと登る。奥ノ山への道下は堀城になっている。城山の道は屈折し、右下には根小谷の一部の平坦地が見える。虎口は枡形になり郭内へ入る。正面には土塁・柵・門跡が標示されている。左は奥ノ山への木橋(推定)跡へ。
城山へ・門跡 左 城山・右 奥ノ山へ 奥ノ山途中の堀

城山通路・奥に虎口 上から虎口を 木橋があったと推定


 ここは城山の一番狭まった所で、真下に堀切、先に奥ノ山が見える。城山は主郭で主殿・会所・遠侍などの標示をしている。土塁からは帯郭の下に駐車城・水田などが眺められる。東南隅には土塁の切れた場所があり、下れば帯郭におりられる。
奥ノ山間の堀切 城山の一風景 北側土塁の上から

城山土塁から 帯郭を上から 帯郭への下り口



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