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本佐倉城(東山馬場・W郭・倉跡・奥ノ山・向根小谷・根小屋)散策
令和5年(2023)2月2日 曇り     参考地形図 酒々井

 本佐倉城は国指定史跡になっている。市街地からは離れ、田が広がり道も狭いためか、多くが開発されずに残っている。駐車場脇に案内所があり、パンフレットなど多く置いている。年輩の案内係が5人程見受けられた。見上げれば城山の斜面(切岸)が圧倒的高さで迫ってくる。一帯が東山馬場と呼ばれている。今の東山馬場は広く開口している。パンフレットと案内の方に伺った話だが、案内所周辺に土塁・虎口があり、農地化のため除いたらしい。
駐車場・奥に案内所 東山方向を 散策路 始まり


 定番の写真スポットの東山馬場奥と、W郭土塁上に月星紋の楯が並べられている。直ぐにW郭虎口跡がある。W郭は他と違い名前が付いていない。西端には土塁跡が長く顕著に残っており、土塁の隅には諏訪神社が建っている。
奥がW郭 W郭虎口跡 虎口から振り返って

W郭西から城山 西端の土塁跡 諏訪神社


 倉跡は4段になっている。パンフレットに、最上段は常御殿の推定地で、掘立柱建物群・陶磁器類が多く発掘されている。当主に近侍する者の詰所的な可能性が推定されている、と載っている。奥ノ山は倉跡との高低差が少なく、防御面はどうだったのだろう。本来の虎口は郭の南東にあり、城山との堀切に接続する。僅かに残る土塁前面が妙見宮跡地、現在は南麓に移っている。郭は別名、妙見郭と呼ばれる。
倉跡標示 奥ノ山 今の入口 妙見宮跡地と土塁跡


 奥ノ山と倉跡の境を下れば、回り込んで南の麓に出る。内郭の南麓一帯は根小谷と呼ばれている。奥ノ山から移された妙見社が建ち、全面には中池だった水田、奥に外郭の向根小谷の森(台地)を望む。
宮跡から南東方向 郭境を下る 下り途中

妙見神社 鳥居前から 向根小谷側から内郭


 向根小谷下に根小谷の館がある。ゲートが閉まり車は入れないが、脇から人は通れる。建屋は消防団と併設し、「根小谷の館」の看板側は人影もなく確認せず。以前は中池の島にあった弁天社、近くに双体道祖神が祀られている。上に浅間神社があり、踏み跡程度の道を辿れば神明社に行ける、と案内の方が言っていた。
根小谷の館 弁天社 双体道祖神


 車道を南へ、左折し台地に上がれば、神明大神社入り口がある。入った先が馬出の土橋になり、左右に堀跡が確認出来る。他と同様に堀の縁と中は木が生い茂り全体像が掴めない。内側には土塁跡が残り、特に右手は高く櫓台跡らしく横矢が掛けられる。
左折し台地上へ 神明社入り口 土橋左の堀

馬出内左に土塁 馬出内から土橋を 馬出内、右の土塁と堀


 さらに郭への土橋と堀跡があるが、こちらも堀は木が生い茂る。左右の土塁の内、神社側は高く残っている。馬出郭を含め神社回り以外は農地になっている。北端に行ってみたが、急斜面となっている。引き返し吉祥寺の案内表示まで戻る。
土橋右の堀 土橋から馬出郭を 神明大神社

右土塁が高い 鳥居前から 吉祥寺案内


 根小屋の台地に向かうと、吉祥寺の山門前に着く。坂を上がれば根小屋地区で狭い道を北へ行くと、畑の奥に森が見え出す。案内の方に、畑だが堀跡の見学くらいなら入れる、と教えられた。入った所は堀の折れ部分で、画像では伝わらないが、目視ならなんとかL型が確認出来る。左右をもう少し見学したいが、畑・民家となり自由に散策は不可能。
 吉祥寺前から根小谷の館まで戻り、内郭へ再度向かう。
吉祥寺 山門 登った先を振り返って 奥の森が堀跡

農地の奥に 鬱蒼とした堀 L字部分だが



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