四ツ山(四ツ山城跡または高見城跡) 散策 埼玉県比企郡小川町
令和5年(2023)1月10日 晴 参考地形図 寄居
四ツ山或いは四津山と記載される200m程の山である。山の東麓に四ツ山神社参道があり、傍らに駐車城が設けられている。参道は長く緩やかに上がっている。石段の左には犬走り・腰郭への案内がある。
  
左へ行くと山腹に細い道が続くが、これが犬走りと思われる。先に細長い平地の腰郭が現れる。先に少し行ってみたが、落ち葉の積もった細い道が続いている。引き返し石段を上れば右に直角に曲がり、先が腰郭になり、不動明王尊が奉られている。先に行く道は女坂とあり、後で確認すると二の郭辺りに出る
  
二つ目の石段を上れば中程の右に小さな腰郭がある。下草・木がある程度伐採され、斜面の具合等がよく観察できる。
  
石段が終われば本郭跡で北東と南東側からの眺めが良い。西端に社殿が建ち、背後から右手にかけて土塁跡が遺る。
案内板の概略は、「戦国時代は鉢形城と松山城の間にあり、交通の要衝を押さえる役割をしていた。城は神社の建つ本郭と北西に連なる主要な三つの郭が堀で区画されている。文明12年(1480)頃に整備された可能性がある。長享2年(1488)に山内・扇谷両上杉氏の対立による、高見原合戦はこの麓の高見・今市付近で行われている。」等々。
  
本郭の土塁の一部が大きく切られているのが虎口跡で、二の郭側からは大きく曲がり登らなければならない。二の郭方向からの防御に重点を置いていたようだ。
  
本郭と小郭間の堀切は皆さん写真を撮る定番スポット、小郭から堀切越しに本郭を見れば、本郭の法面(斜面)の高さが実感できる。振り向けば二の郭を区切る堀切がある。
本郭と小郭の堀 |
小郭から掘越しに本郭 |
小郭と二の郭の堀 |
  
堀切の右下から道が来ているが、不動明王尊からの女坂のようで、本来の登城道だったとの意見がある。周囲は低くなっているが、虎口跡と思わせる所を通り二の郭に入る。細長い平坦地で西側には土塁跡が明確に残る。
二の郭虎口跡か? |
二の郭の一風景 |
二の郭西の土塁跡 |
  
堀切(土橋)を通り三の郭へ入る。三の郭は奥に向かって緩やかに高くなる。
  
三の郭奥が200mを越えて、本郭より等高線では10m高い。北に郭を出れば大きな堀切で遮断している。全体によく整備管理された城跡だった。1時間ほどで回ったが、もう少し時間を掛けて見学したい。
三の郭奥の一番高い場所 |
三の郭先の堀切側 |
三の郭先の堀切 |
  
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