諏訪山(113m) 三角点なし 埼玉県児玉郡美里町
令和2年(2020)12月10日 晴 参考地形図 本庄
丘程度の山で諏訪山と載っている。諏訪神社があっての呼称だろうと寄ってみた。この辺りの関越道は南北に通っているので、側道から見える諏訪山はほぼ西から眺めたもの。田圃の中に真っ直ぐ延びる参道があり、突き当たりに鳥居が建っている。
  
鳥居を潜ればコンクリート製の階段が続き、自然林に混じって杉が多い参道である。半分ほど登った辺りで階段の先に赤い建物が見え出す。上りきれば手前に狛犬、奥に赤い社殿が鎮座している。裏に建屋があるので、裏が本殿で、赤い手前は拝殿だろうか。鳥居から5分も掛からず着く。
  
社殿の扁額は河輪神社と書いてある。諏訪神社とばかり思っていたので、諏訪山ではなかったと思い始めた。由緒書きでは江戸時代の慶長年間に当時の領主が、諏訪大社から諏訪神を分祀(?)し、合祀してからは諏訪神社と呼んだらしい。それで諏訪山と呼ばれたことに納得する。しかし明治になり元の河輪神社に戻されたと載っている。今も字名で残っている上川輪の豪族、川匂氏が建立したとある。社殿の右手には手水舎・社務所・神楽殿が見える。
河輪神社 扁額 |
社務所と神楽殿(奥) |
社殿左手がやや高い |
  
諏訪山の山頂とした場合、社殿の左手が一段高くなっている。高まりには石段が付けられている。上がった場所に石碑があり、稲荷神社・天満天神社・三和神社と刻まれている。中心部にも石柱。石碑があり、石柱には遙拝所、石碑には八海神社・御嶽神社・三笠神社と刻まれている。遙拝所とは何処を拝するかは分からないが、富士仙元社も祀られているらしいので富士山かも知れない。
  
後で分かったのだが、周辺は古墳群で高まりは古墳(円墳)と載っていた。他の神様も多く境内社に祀られており、赤城社・榛名社・妙義社・若宮八幡社・北向社・他などが境内社としてあるらしい。社殿の右奥に小振りな社がある。その場所もやや高く盛り上がり円墳ではないかと載っている。社殿の裏(東側)一帯はゴルフ場になっており、境内側の暗さと対照的だった。
境内社の一つ・小振りな社 |
高まりから南方面 |
東はゴルフ場 |
  
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