本庄城跡・金窪城跡 散策 埼玉県本庄市/上里町
令和4年(2022)7月7日 晴 参考地図 本庄/伊勢崎
本庄城跡には城山稲荷神社が建っている。参道より数m高くなっており、鳥居手前には大きな碑が建っている。鳥居から先に進むと一段下がって社殿が建っている。城の主な郭は高い所に設けられるので、鳥居先辺りが主な郭と思う。ただ知識がないので中心的な郭だったかは分からない。
説明板には、西は簡易裁判所(以前の)、東は八坂神社辺りまであったようで、北は元小山川、南東は久城堀で仕切られた要害だったと記されている。本庄氏が築城した城は久城堀より東にあり、現在の跡地は小笠原氏が築城したとの案内もある。
境内には県指定の天然記念物のケヤキがあり、右手には手水舎、その横に市指定文化財のヤブツバキがある。ケヤキは築城時に本庄実忠により献木、ツバキは本庄実忠が西本庄から椿稲荷を移したとことにちなみ植えられたと記されている。
社殿裏は一段低く、元小山川が流れている。小山川沿いは現在城下公園になっており、城は台地上に造られたのがよく分かる。東の八坂神社は城山稲荷神社より高く、台地に建っている。参道から鳥居を見ると右側は一段低くなっている。こちらも稲荷社と共に弘治2年(1556)本庄実忠が勧請したとある。参道・境内以外はほぼ住宅地になっている。
  
  
公園からの八坂神社裏 |
八坂神社参道から |
境内と社殿 |
  
金窪城跡は中山道に目立つ標柱がある。地元では歴史遺構・寺社などを巡るコースが出来ている。中山道から北に行くと忍保川手前の左奥に金窪城址公園がある。公園入り口の道路を挟んだ民家側に、金窪城跡の石碑・案内板が建っている。
説明では西と北に清水が流れ、東に小溝があり、東から南は地続きで、今でも土塁が三カ所(四カ所とも)残っており、一辺 200メートル程の城域だった・・・。石碑がある場所と裏は民家だが、高くなっており、土塁跡らしく思えるがどうだろう。他は畑地・民家だったりして分からない。
北の清水が忍保川とすれば、西は何処かと探すと黛神社鳥居方向に細い溝(小川)がある。周囲が湿地だったとしても堀にしては小さすぎるので違うかも知れない。黛神社の建立創建は不明だが、武蔵七党の丹党の一族で黛某が勧請したとあるから、結構永い歴史をもっている。
  
公園側から石碑方向 |
石碑と案内板など |
石碑の裏の高さ |
  
  
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