岡部藩陣屋跡・岡部城跡・小島氏館跡 散策 参考地形図 本庄
令和5年(2023)7月5日 晴れ
1.岡部藩陣屋跡 埼玉県深谷市岡部
説明板には、岡部藩は天正18年家康の関東入国後、家臣の阿部信勝が榛沢郡岡部などを拝領した5,250石を基に発展した。嫡男・信盛は上杉討伐や大坂の陣で功を挙げ、大番役などの役職を務めた。江戸幕府初期の寛永13年(1636)、三河国内に4,000石加増、慶安4年(1649)に摂津国内に10,000石を加増され大名になる。その後20,250石となった岡部藩は、岡部を本拠地にしながら摂津・三河の領地を分割統治し、移封・転封もなく幕末まで続く・・・。
高橋秋帆幽囚の地との案内もある。蘭学者で高島流砲術の創始者。天保13年(1842)に中傷により獄に投ぜられ、弘化3年(1846)から嘉永6年(1853)まで岡部藩の預かりとなった。碑がある場所辺りに幽囚されていた・・・。と説明板に載る。
周囲は民家・畑地になり陣屋を想像させる遺構が見当たらない。
  
岡部藩の説明板 |
石碑の右から背後 |
石碑の東方向から |
  
2.岡部城跡 埼玉県深谷市岡
ボートレースの場外発売場であるボートピアの南に位置する。台地の北端で上は平らで墓地・畑が多くを占めている。東側にやや高くなった古墳があり、最高部に浅間神社が建ち、物見には適している。遺構は見当たらない。ボートピア側の崖状から台地上に上れる所が如何にも土橋を思わせるが、単に自然地形かも知れない。
北東1キロメートルに五十子陣があり、小山川を挟んで対峙する。何方かのHPに山内上杉氏に対する古河公方がたの陣城だった可能性がある、と記されている。
南から北を・ボートピア裏 |
ボートピア側から城跡 |
段差だがよく撮れない |
  
台地に上がれる |
一見、土橋のような |
上は平らで広い |
  
南の浅間神社参道入口 |
社殿手前で西の平坦部を |
浅間神社 |
  
3.小島氏館跡 埼玉県本庄市小島
館跡は長松寺境内になっている。武蔵七党の丹党一族、小島氏の居館跡と伝わる。本堂の北側、境内の西側には土塁と堀が良好に残っている。
長松寺の北、台地の縁に唐鈴神社が祀られており、伝承では遣唐使だった大伴宿禰古麿(おおとものすくねこまろ)が。後に武蔵国に移り住み、子孫・良麿(よしまろ)が天平勝宝(749年〜757年)に創建とある。この時、館を構えた場所が長松寺の境内と伝わる。伝承を信じれば、小島氏以前から何らかの館があっただろうし、一帯は古墳が多く暮らしやすい地だったのかも知れない。
唐鈴神社鳥居・上に社殿 |
長松寺入口横の神社参道 |
長松寺正面 |
  
鐘楼の西側には土塁が残る。東横には西から直角に曲がり東に向かう堀と土塁が見られる。本堂裏にも土塁・堀が遺る。全体では境内西の土塁・堀がよく保存されている。
  
  
北西角の堀と土塁 |
本堂裏の堀と土塁跡 |
西の神社参道側から |
  
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