御嶽山(343.4m)
令和3年(2021)12月19日 晴 参考地図 藤岡
埼玉県北部、群馬県境近くの金鑚神社へ向かい、まずは麓の金鑚神社にお参りをする。8年前と変わらない佇まいだが、前回は11月初旬で木々の緑が残っていたが、今回はほぼ葉を落としている。二の鳥居先の石段を上り右後ろに行けば、木村翁頌徳碑が建っている。養蚕業に貢献した木村九蔵翁を讃えての碑とある。
  
標識の左奥に蚕影山神社が祀られている。左下に駐車場、トイレが見える。さほど広くない駐車場はほぼ隙間がない。正面に多宝塔が見えだす。大多数の人は左下に駐車し、目の前の多宝塔を目指す。案内には天文3年(1534)阿保郷丹荘の豪族、阿保弾正全隆が寄進した旨を記した墨書きが柱があり、国の重要文化財と記されている。
  
多宝塔を過ぎれば右手に社務所が見えだす。正面には朱色の橋が架かり石段、鳥居、奥に神楽殿が見える。橋手前には下乗札がたち、この先は一層の神域感がある。鳥居を潜り左に手水舎、右の石段を上れば拝殿がある。通常は拝殿の後ろに本殿があるが、ここは中門があり、ご神体である御室ヶ嶽を拝する。神体山は御嶽山の北隣にあるように載っているが、地形図を見ても分からない。日本に3社しかない本殿のない珍しい形式をとっていると案内に載っている。拝殿からすぐに分岐が現れ、左は蓮沼方面、右は鏡岩・山頂へ向かう。
  
右の道は急ではないが、整備された階段で程よく登って行く。左右には句碑と石像がが立ち並んでいる。句碑などの経緯は調べてないので分からず。
  
左斜面に大きな岩が見えてくると、左上に鏡岩が見えだす。説明板によると約1億年前に八王子構造線ができた時の岩断層活動で、すべり面が縦約4メートル・横約9メートルあり、強い摩擦により磨かれて光沢をおび・・・云々と記されている。鏡岩の上に出れば尾根で小さな十字路になっている。
  
左奥は広場になり、周囲に石仏群、正面に社、右に東屋風休憩所が建っている。石仏は当初この一帯に八十八体配置され、四国八十八ケ所の霊場を模したようである。今は七十余体が残っている。・・・云々と記されている。展望場所へは社の左横から露頭した岩を登る。
  
小さな社が北向きに祀られている。奥宮とはこの社なのか、岩山下の社なのかが分からない。一段高い岩に登れば360度を見渡せる。
  
特に北側の眺めは素晴らしく、奥日光・赤城山・榛名山などの山並み、本庄・児玉・神川・藤岡などが広範囲に、県境の神流川まで見渡せる。この時季ならではかと思われる。弁慶穴は岩山の左端から数メートル先にあり、屈んで数人入れる程度の広さに思える。
  
尾根に出た所までもどり直進する。左に下れば渡瀬登山口へ、途中で左回りに下れば蓮池分岐に出るようだ。緩やかな尾根が続く。思い過ごしと思うが、少し先に左右を堀り削った土橋らしき場所を通る。城跡なので遺構が残っていても不思議ではないが。
左は渡瀬コース登山口へ |
尾根の一景色 |
土橋にも思える |
  
女坂・男坂分岐が現れる。男坂は直進し、女坂は時計回りに山頂へ向かう。男坂へ進めばやや広い尾根を通過し、岩混じりの急登が現れ、ロープが張ってある。ロープに頼らなくとも十分に登れる。
  
短い急坂を登れば山頂に出る。神川町作成標識なのか立派な山頂標識と、山の会らしき山頂標識も見られる。神川町にある山の会と思える標識があり、神川山の会・神川ウォーキングクラブ・神川自然に親しむ会などがたっている。中央には御嶽城本郭跡の標柱もたっているが、顕著な遺構は確認できない。展望は木々の間から垣間見える程度だ。
  
山頂から西に下れば、秋葉神社コース登山口・不動沢コース登山口に向かう。南へ下る所には、わたるせ・秋葉神社・新宿方面の標識がある。何か遺構がないかと南に下ると、すぐに左に下る丁字路になり、わたるせ(渡瀬)登山口と新宿・秋葉神社へと書かれた標識がある。新宿と秋葉神社は山頂とこの標識では真逆を示しており、狭い山中だから迷うことはないと思うが、分かりづらい。左に下れば山頂の南から東を巻くように道がついている。これが女坂だったようで、登るときの女坂・男坂の分岐場所に着く。帰路は岩山展望下・鏡岩と、同じ道を下り戻る。
  
拝殿 11:04(0.17)11:21 展望台下 11:36(0.09)11:45 山頂 11:52(0.10)12;02 展望台下 12:17(0.15)
拝殿
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