武州松山城跡 散策 埼玉県比企郡吉見町
令和5年(2023)3月22日 晴れ 参考地形図 東松山
吉見の百穴・兼城跡見学用駐車場から散策開始。市野川土手・駐車場からは百穴がよく眺められる。城跡の東に回り込むと、根小屋側からの入口があり、その先を右折し100メートル程で曲輪四への入口がある。入った右手は曲輪四手前の小曲輪で下草が綺麗に刈られている。曲輪四側の堀跡も残っている。
市野川の堤から |
駐車場から百穴 |
根小屋から城跡入口 |
  
曲輪四側の城跡入口 |
曲輪四手前の曲輪 |
曲輪四との堀 |
  
最初の小郭から土橋を渡り曲輪四へ入る。曲輪四の西側には土塁跡がハッキリ分かる。三ノ曲輪へも土橋になっているが、土橋を下り堀底を北へ進むと、道は左に曲がり方形の虎口跡に出る。門の位置が不明なので内枡形なのか外枡形なのか分からない。虎口を右に出れば根小屋へ、左は惣曲輪へ向かう。虎口正面辺りにも堀状の遺構が確認出来る。
  
三ノ曲輪への土橋 |
堀底道、左は三ノ曲輪 |
振り返って、中央は土橋 |
  
  
惣曲輪の西端を右に曲がれば、縄張図では岩室観音堂へ下れそうだが、藪化してしまっている。左に上れば曲がりながら兵糧倉への虎口へと出られる。小さな曲輪なので標示がなければ分からない。先に一段高く本曲輪虎口があり、高い土塁を切っている。
兵糧倉への虎口 |
本曲輪側から兵糧倉 |
本曲輪への虎口 |
  
虎口は本曲輪内から見た方が良い。曲輪内には神社(寺かも)の基礎だけが残り、南に参道だったのか虎口状の道があり、下れば帯曲輪があり笹曲輪らしい。笹曲輪の上の土塁と本曲輪切岸の間を西へ行けば當選寺(西下の車道)入口に出られる。本曲輪は東に突き出た形で、神社跡よりも北から東にかけて一段高くなっている。二ノ曲輪への虎口を出れば土橋になり、西へ突き出た曲輪下を通過する。
  
  
二ノ曲輪の突き出た下を進むと更に土橋状になり、登り返す。本曲輪が東に突き出た形を、北から南まで囲うようになっている。南に石段があり、下へ続いているので社でもあったのだろうか。石段を下りた所に土橋状で東西に堀が見られる。
  
南に石段が |
本曲輪へ突き出した部分 |
振り返っての眺め |
  
三ノ曲輪へは土橋になる。曲輪内は整地が粗く凸凹している。東から南の堀は木々が多くなく分かり易い。曲輪四へは南斜面から堀に下り土橋を渡る。
  
  
堀越しに曲輪四 |
曲輪四への道、斜面を巻く |
曲輪四への土橋 |
  
岩室観音堂に寄ってみた。二階造りの一階は左右に四国八十八札所の石仏が祀られている。ここに来れば四国八十八箇所巡りの功徳があるとされる。背後はの上には胎内くぐりがある。なお背後の切り通しは通行禁止となっている。
  
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