増田氏館跡(文珠寺)・成沢城跡(静簡院) 埼玉県熊谷市(旧江南町)
令和6年(2024)5月9日 晴 参考地形図 三ヶ尻
案内に「三人寄れば文殊の知恵」の言葉通り、文殊菩薩は知恵の仏として信仰され、丹後の切戸・米沢の亀岡・武州野原の文珠寺は、日本三大文殊として有名。文明13年(1481)に大部分が焼け、高見城主・増田四郎重富公が文明15年、現在地に再建した。残っているのは仁王門と館跡を物語る堀だけ・・・と載る。
荒川右岸の熊谷市、以前の江南町にある。文珠寺の北には立正大学が約45年前から存在する。何度となく通っていた道なのだが、全く記憶にない。道路から東向きに仁王門、山門と並んで建つ。境内の西半分は鬱蒼とした林で、芭蕉句碑・石碑などが散見する。
  
仁王門横から入った駐車場から、北西の駐車場に駐める。敷地(境内)沿いに北側と西側に堀と土塁跡が確認出来るが、北側の土塁は僅かに痕跡が残るのみ。
西側の埋められた通路 |
東に延びる堀・土塁跡 |
南西角で終わる |
  
  
成沢城跡(成沢寺 静簡院)
説明板に、大永5年(1515)に成澤越前守隼人正義祐が成沢城を築城し、義祐戦死後、深谷上杉氏により静簡院が創建された、と記されている。
境内の東側は木が多く植えられ、奥は庭園としているように見えた。数人の庭師さんが剪定中で歩き回るのを遠慮した。
  
門を入った右奥に小さなトイレが建つ。そばに土塁跡らしき高さが見られる。本堂裏(北側)にしっかりと土塁があるが、西方向はやや盛り上がった跡が観られる。堀は通路(道路)などになり、完全に消滅している。
南入口近くの土塁跡? |
本堂裏の土塁、東に向かって |
それを大きく |
  
北側の土塁は西に |
本堂裏、土塁と堀跡(道) |
北東隅から土塁を |
  
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