トップへ戻る 一覧へ戻る

津辺城跡  散策
令和5年(2023)1月19日 曇り     参考地形図 成東

 成東駅の北700〜800メートルに位置し、台地先端に築かれている。東は境川が天然の堀になっている。 各方面のHPを参考させて戴いくと、永禄年間に里見氏の成東周辺進出に対し、井田氏が築城する。井田氏は坂田城にも名がでてくる。
 成東駅から13分ほど掛かる。集落から細い道を北に入ると、すぐに切り通しを通る。右と左は地続きだったか、当時から道が存在していたのか。右に土塁を思わせる手前に堀が見られる。
南からの城跡 一部切り通しの所も 道路脇にある堀跡


 土塁状の内側は堀・小さな平地がある。入口手前にも狭い平地と立派な堀が確認出来き、入口の先まで続いている。
土塁状の遺構 城内入口 入口下の堀

入口下の堀 入口下の堀と郭? 城内の土塁


 道は何度か屈折し奥へ。土橋の前が広くなり、馬出かと思わせる。土橋左右の堀は幅広く深い。画像では木が多く伝わらない。土塁先は両側が高くなり土塁跡だろうか。主郭内は育った杉林と笹が多く探索しづらい。東端まで行くがそれ以上は進めなく、堀などが巡っているのだろうが分からず。
城内の道 振り返って 主郭への土橋

土橋右の堀 土橋先の両側が高く 主郭内


 主郭を出て右奥が二の郭らしいが、篠竹が密生し足を入れられない。左には幾つか郭と仕切る堀が見られるが、周辺の造りが複雑で理解出来ない。こちらは下草などが刈られ整備されている。出来れば堀の法面を整備して戴くと、堀の大きさなどが分かり易くなります。
主郭手前の郭辺り 主郭手前の郭の堀 下草が刈られて

堀越しに主郭方向 郭内の一風景


 遺構ではないだろうが、西に見える日吉神社に立ち寄った。数m上に神社が鎮座している場所は、社殿裏から鳥居を越え南に続いている。鳥居前を南に行くと東漸寺があり、南側は斜面で台地上と分かる。
日吉神社 社殿裏から城跡を 城跡から西の道

  

富田城跡 散策
令和5年1月23日 雨  参考地形図 成東

 津辺城から境川を挟んで南東へ600メートルにある。津辺城との関連がどうなのか。当初訪問口が分からず台地続きの東から行くことにした。光明寺を過ぎてしばらくすると、北に入る細い道があり、入口に関東ふれあいの道・善兵衛公園入口等の標識が立っている。登りきった左後ろに道がある。
光明寺手前から 善兵衛公園入口


 台地の平地は大部分が畑地になっている。南に林があり中に社が建っている。少し行くと三角点前を通り、左に回り込むと谷状となり、台地の南端を歩くようになる。木が多くなると右手に土塁跡が現れる。手前に堀はないように思える。
台地の上は畑 不明な神社 社前から

三等三角点 三角点付近の風景 谷状でやや下る

柵の左は急斜面 右前方に土塁 内側から土塁を


 内側は広く平坦で中央に大高善兵衛の墓・案内が立ち、西隅に忠霊塔が建っている。城跡と思える遺構は分からない。以前、道路地図に城跡は「ふれあい里山公園?」と載っていたが、今は善兵衛公園と呼ぶらしい。
広い平地 大高善兵衛の墓案内 忠霊塔


 西の森林内の薄い踏み跡を進むと、狭いが開けた空間に出ることが多々ある。ほぼ古い墓石がある。雨と暗いのとで、やや不気味さを隠せない。広い空間には神社が祀られて場所もある。台地の最も西付近を見たかったが、傘を差しての森歩きは諦めて下る。手すりの付いた道に従えば、光明寺裏から民家の間に出て来られる。遺構は土塁跡を一ヶ所確認したのみで、他に見るべきものがなかった。
平地西側の景色 南に下る道 堀のような?

やや下の神社 手すりを辿れば 光明寺前



一覧へ戻る