滝山城址 散策 八王子市高月町
令和5年(2023)12月27日 晴れ 参考地形図 拝島
五年前の夏に一度訪れているが、二の丸の堀・馬出などは草が生い茂り地形がよく分からなかった。バス停から切り通し(堀底)道を進む、右上に吉田久稲荷を見れば左に規模の大きい小宮曲輪の横堀が現れる。この先辺りは大手門跡とあり、三の丸の枡形虎口同様、車の通行の為大きく改変され、遺構は消滅している、と記されている。
前回行かなかった山の神曲輪だが、三の丸・山の神曲輪間は通行禁止になり、標識には三の丸内・二の丸南部分が立入禁止となっている。
  
  
小宮曲輪の虎口跡を見て三の丸も通過、千畳敷からは草が刈られた腰郭、奥の弁天池跡がハッキリ眺められる。二の丸側の南角馬出は大分浅くなっている。二の丸に入り丁字を右に行く。
小宮曲輪 枡形虎口跡 |
千畳敷入口 |
千畳敷から腰曲輪と弁天池 |
  
  
二の丸内のやや堀状の道を行けば、こちらも立入禁止の看板。入れないことはないが、指示に従って通過。東馬出への土橋、先の東馬出へと続く。馬出の土橋からは、以前判然としなかった二の丸東の堀が素晴らしい。
  
行き止まりの曲輪から大馬出へ。ここも草が生い茂り形がよく分からなかったが、先端の土塁などおおよその形が見て取れる。尾根から大馬出への虎口を下れば、堀切りがあり馬出を仕切っている。
  
二の丸南虎口前の角馬出も以前は分からなかったが、小さな曲輪に驚かされる。周囲の堀も草が刈られ、また枯れて見飽きない。
角馬出から南を、土橋 |
二の丸南の堀 |
角馬出から二の丸南虎口 |
  
家臣屋敷整備跡から見える東馬出の堀は、堀内を綺麗に整備されている。家臣屋敷は信濃屋敷・刑部屋敷・カゾノ屋敷と東に連なる。どの屋敷跡も仕切りの土塁、城道側の土塁と僅かだが痕跡がある。各屋敷跡への枡形虎口は消滅している。
角馬出から大馬出を |
東馬出の整備された堀 |
信濃屋敷から刑部屋敷を |
  
東のカゾノ屋敷内、東側には土塁が顕著に残る。土塁を端に行けば、真下に尾根を分断する堀に架かる引き橋が見える。
カゾノ屋敷東の土塁 |
カゾノ屋敷土塁隅から引き橋 |
引き橋を外から |
  
戻り中の丸へ。二の丸とを仕切る堀を過ぎれば枡形虎口になる。直進すれば大堀切。中の丸には土塁が良く残る。北には腰郭へ降りる虎口があるが立入禁止。以前全く見えなかった腰郭が整備され、回り込んで引き橋の橋脚部辺りに続いている。実際には見て確認出来ないが。
  
  
  
引き橋を渡り本丸へ。本丸側は枡形虎口になり、横矢が掛けられる。本丸は二段構えになり、上段には霞神社、奥に金比羅社が建っている。中の丸ほどではないが、北側の眺めは良い。金比羅社脇には虎口があり、通行出来ないが、下一帯に小曲輪群が見渡せる。
本丸上段の霞神社 |
神社前から下段を |
上段奥に金比羅社 |
  
上段北端からの眺め |
金比羅社脇の虎口 |
虎口辺りから北西の曲輪群 |
  
下段は井戸跡・南の枡形虎口・引き橋部の枡形虎口・城跡碑などが見られる。南虎口から大堀切に出て帰路につく。
井戸跡と南の土塁 |
南の枡形虎口、外から |
大堀切に架かる引き橋 |
  
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