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武田氏館跡・金上城跡      千葉県匝瑳市
令和6年(2024)11月18日 晴れ   参考地形図 ひたちなか

1.武田氏館跡

 説明板の概略は源頼義の子、新羅三郎義光は常陸介などに任ぜられ、三男・義業を久慈郡佐竹郷、三男・義清を吉田郡武田郷に土着させている。義清は地名から武田氏を名乗り、武田冠者と呼ばれ甲斐武田氏の祖となった・・・と載る。

  板塀に囲まれた館が模擬復元されている。月曜日で休刊日のため門内には入れず。神社がから塀越に母屋・厩の上部のみが見える。神社の境内まで入れれば広さを確保出来そうだが、それでも館としてはこぢんまりしすぎる。
館の背後から 館跡との高低差 模擬復元館門


 甲斐武田氏の発祥の地と石柱が湫尾(ぬまお)神社鳥居前に立っている。周囲の地形から台地の舌状部に位置するのは分かる。西は那珂川の湿地帯だろうし、東は台地続きだが館跡より数m低い。スダジイの大木が市の特別記念物になっている。
湫尾神社 記念物のスダジイ 本殿

本殿右側の風景 神社の横は急斜面 社殿前から南を


  
2.金上城跡

 江戸氏の一族、金上氏の居城と言われる。溜池(金上溜)前の道路駐車可能だが、近くのふれあいセンターにお願いしたほうが安全。池脇の切り通し状の道を入ると、左に石段が現れる
東から城址 大きく 溜池(金上溜)

細い道入口 途中の切通風 主郭への石段


 階段の数m先に若干上がる堀切状の窪みがある。上がれば民家が建ち、庭・畑になっている。土塁の後ろが民家だが、地続きなので防御上、堀くらいは存在したか。戻り石段を上がれば大きな郭で、中心に熊野神社が建っている。北側には土塁が残るが、草木が多く写真ではよく分からない。
石段先の土塁と堀か 左の場所を上に 主郭内北の土塁


 社殿の南には深い堀が確認出来るが、草木が密生し画像では分からない。西から北へ回り込めば、西の土塁の一部が見られ、石段先の道に出られる。先ほどの通り、土塁脇なので堀があったと思われる。
社殿の東から(入口側) 南の堀跡 主郭西の土塁

西の土塁を近くで 土塁の隅部 北側土塁の外側



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