1.高月城址 散策 八王子市高月町
令和5年(2023)12月27日 晴れ 参考地形図 拝島
「NPO滝山城跡群・自然と文化を守る会」さんの文面には、武蔵守護代の大石氏の築城とされ、勢力拡大に伴い手狭な高月城から滝山城へ拠点を移したと伝えられている、とある。
滝山城址から歩けない距離ではないが、滝山城址入口のバス停から拝島行きで、高月バス停まで利用。歩けば40分ほどだが、4〜5分で到着。バス停から十メートルほど戻り、ホテル高月城の看板場所から南に入る。道の最高所右手には稲荷社と閉鎖したホテルが建っている。ホテルの西(裏)奥には空堀があり、郭として機能していたとあるが、全く確認できない。
  
反対側に城跡入口の標識があり、そこを左に入る。道は切り通し状で堀底を進む感がある。本来の城道ではないだろう。道が左に大きく曲がり、斜面を登り始める手前に作業小屋が建っている。左右に堀を思わせる凹みがあり、小屋手前には土塁?、やや進んだ上からは土塁背後に狭い平坦地が見える。小屋の後ろ辺りは虎口と図に乗っている。
  
  
意外に急な道で尾根だろうが、土橋風に狭くなったり、やや広くなったりと曲がりを繰り返す。主郭への入口が見えてくる。内から入口を見ても土塁などがあったか分からない。主郭は広く東の縁に遺構が記されていたが、枯れ草が多く置くまで行かなかった。
  
  
2.片倉城址 散策 八王子市片倉町
令和5年(2023)12月27日 晴れ 参考地形図 八王子
案内板に、新編武蔵風土記稿になどには、応永年間(1394-1428)の大江備中守師親の在城を記し、大江氏の後裔の長井氏の城郭とされていますが確証がありません。築城主体や年代の特定は困難ですが、他の中世城郭との比較から十五世紀後半以降に築城され、十六世紀代に廃城になったと推定されています・・・。と載っている。
JR片倉駅北口から西へ向かう。城址公園入口脇には駐車場もあり、多くが駐車している。直ぐに沼が見え住吉沼と立て札があり、昔の広い沼の名残らしい。公園内には広場と名が付く場所が三ヶ所書いてある。本丸広場・二の丸広場・休憩広場。
  
神社参道には行かず奥の沢に向かう。小さな池、先には片倉沢と湧水が多いようだ。見上げる斜面は天然の谷(沢)でほどよく分断されている。市街地も眺められ、意外に標高が高いことに驚く。奥の沢は片倉沢より遙かに大きく、天然の竪堀になっている。奥の沢辺りはモミジが多いが、紅葉は終わりだった。
  
  
奥の沢から二の丸広場方向へ、手前で休憩広場に折れる。小さな郭で二の丸とは堀で仕切られている。ここからが市街地の眺めが一番いい。二の丸の隅を西へ行くと、土橋になり、空堀と右は奥の沢上部になる。西の郭は大半は畑になっている。
二の丸端から休憩広場 |
二の丸西の堀跡 |
二の丸西の郭 |
  
二の丸西側はツツジ山と名が付いて、縁から堀の中にドウダンツツジ(?)が植えられている。二の丸は本丸の二倍の広さがあり、野球・サッカーをする子供が多い。本丸に架かる橋から下を眺めるが、堀は僅かな窪みと浅くなり感動が少ない。
二の丸西から堀越に畑地 |
二の丸広場を北から |
本丸・二の丸間の橋 |
  
本丸東隅に他より高く大きい土塁が見え、縄張図には物見・のろしと載っている。西側下には腰郭が北に回り込んで造られている。腰郭北側には住吉神社が建っている。
本丸を南から |
本丸北にある土塁 |
本丸東側の堀・切岸 |
  
本丸西下の腰郭 |
腰郭から南を、本丸虎口 |
腰郭北に建つ住吉神社 |
  
|