大椎城跡(おおじ) 散策
令和5年(2023)2月5日 晴れ 参考地形図 東金・蘇我
諸解説によれば、平安中期に平忠常が築き、常胤の時に千葉氏を名乗り、永く千葉氏が居城したとされる。1126年(大治元年)、千葉常重は通称千葉城(亥鼻城か)に移り、後は千葉氏一族が入る。15世紀中頃には酒井氏の勢力圏になる。遺構は16世紀中頃の造りで、土気酒井氏が改修したのではないか。天正18年、小田原征伐により酒井氏は滅び廃城となったとされる、と出ている。
一般的には城跡の北から散策するらしく説明板もある。駐車城を探せなかったため。南に位置するお寺に駐車をお願いする。ご住職が、当山は千葉氏の時代に大椎城域から移ってきた、と話されていた。大椎町集会所先の細い道を入る。
  
道は切り通しで登れば要害台に出る。小さな小屋(馬頭観音)が建つ先を左に入る藪道がある。
  
左右が切れ落ちた尾根を行くと、位置的に四の郭南東下と思われる場所を通過する。右に斜面が張り出し如何にも山城を感じさせる。やや登ると左が開け、お寺方向の眺めが良い。倒木注意の表示先は、標示通りに倒木、全体に篠が多く歩きづらくなる。
  
三の郭と四の郭を断つ堀が現れ、土橋に横矢が掛けられる造りになる。堀・郭は竹藪と杉が多く画像では分かりづらい。
  
踏み跡程度だが季節柄歩きやすい。二の郭手前に合流し、堀を北へ行くとV字になる。北から来る散策路は、この堀切に上がってくようだ。
  
堀を下がって見上げると如何にも虎口と思わせる。ここに「おおじの森」指定標識が立ち、樹種スギ・ヒノキ・クヌギ他、面積2.6ヘクタールと記されている。更に下れば急坂になり続いている。戻り西へ行くと南が開ける。
  
開けた先は帯郭があり、手前には土塁らしき跡が見られる。南側は伐採され眺め、陽当たりが良く休憩に適している。他は休憩しづらい。
  
右に登れば左に主郭虎口があり城址碑が立つ。ここは主郭と二の郭間の堀切だが、他と比べ浅い。主郭内は西端に向かう道以外は鬱蒼として踏み込めない。端には部分的に土塁跡が見られる。虎口前を北へ行くと、すぐに細い下り尾根になって続いている。三・四の郭間の堀底が歩ければ、城内中一番素晴らしいだろう。
  
  
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