野手城跡・八日市場城跡・椿城跡 千葉県匝瑳市
令和6年(2024)9月18日 晴れ 参考地形図 成田国際空港
1.野手城跡
野手氏は千葉氏の一族だが、徳川家康の江戸入城後に本田氏により討伐された、と載る。
農村地帯の静かな集落に跡地がある。溜め池らしきものがある農村公園の駐車場を利用する。下半分が隠れる説明板には、大まかには三郭からなっており、今も地名に上の馬場・後里・御城などが残るらしい。溜池の中央に弁財天を祀っている。如何にも城の堀跡を彷彿させるが、遺構ではないらしい。地図では朗生寺の東の畑地に城跡の標示がある。寺を含む一帯が主郭なのだろう。
  
  
  
2.八日市場城跡
説明板らしきものは見当たらないが、天神山公園の案内は各所にある。押田氏が築城と記され、天正18年に小田原北条氏が敗れると、廃城となったと。
天神山公園の北側に駐車場がある。駐車場の上が二郭になるが相当広い。上がる斜面には段差があり、帯郭状に造られている。駐車場辺りは帯郭の一部だろうか、北の斜面も二段ほどの帯郭を形成している。上に出がれば広大な二ノ郭だが、ただ芝の生えた広い平らな広場としか思えない。公園としてよく整備されている。
  
二郭から西の主郭を望むと、数m高くなっている。北方向に望む丘・学校辺りは、周囲にあった幾つもの砦の跡らしい。主郭の境にはかなり浅くなっているが堀跡が確認出来る。堀底に城址碑がひっそりと立っている。
  
主郭の北側に坂虎口風な登り口があり、主郭より一段低い場所になる。物見櫓風な展望台が建っており、登れば北から西にかけて市外が見渡せる。主郭の北端は一段高くなり、浅間神社が祀られているが、物見櫓台でもあれば十分な見張りが可能。北側のこども広場のある周囲には、土塁か段差のある小郭か、遺構らしきものがある。
  
展望台からの眺め |
主郭北角の高まり |
北のこども広場の城塁 |
  
こども広場近くからは見上げる程の高さのある城塁だ。二郭東の先端は台地が続くが、やや細くなった場所を堀切で遮断している。幅・深さともに、唯一眺められた遺構だった。
こども広場近くから |
二ノ郭東隅の堀切 |
堀切を下から |
  
3.椿城跡
地図上の星神社を目指す。神社の鳥居前か脇にスペースがあるので駐車出来る。説明板・案内はなく、諸先人さんの情報に西側に土塁跡が見られるとある。鳥居のはす向かいに台地に上がる道がある。如何にも虎口風な風景だが、単に車で畑地に行く為のものかも知れない。城址一帯は畑地になっている。
  
  
耕作地の台地端は、篠・木々が生い茂る高まりが多く見られる。土塁跡か判断がしづらく全て土塁に思えてしまう。諸先人さんお言う土塁は分かる。また自然地形だろうが、竪堀風なものがある。これを利用し台地を分断するくらいの堀・土塁があってもいいのでは。あまりにも広過ぎる。
幾つも高まりがある |
自然地形?の竪堀風 |
土塁跡を農道から |
  
遺構ではないが城跡の北東に星神社が建っている。鳥居のある通りは神社側とを遮断する堀跡のように思える。参道の石段を上がれば平坦になり、奥に社殿が建っている。社殿の右から裏、左にかけて土塁上の高まりが見られるが、神社造営時の削り残しだろうか。
  
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