並木城跡 散策
令和5年(2023)2月4日 曇り 参考地形図 多古
多古城郭保存活用会さん等のHPを参考にさせて戴くと、千葉氏の家臣、飯田氏により築かれ、要衝の地であるため何度となく戦が行われたと伝わり、建武3年(1336)の千葉一族の内乱は、千田氏が籠城したが千葉胤貞により落城、1455年(康正元年)の乱では志摩城に籠城した千葉氏の自害とともに落城。その後数度の戦があったが、武将名などは分からないようだ。
西の入口から入ると直ぐにV字の堀のようになる。右に並木城と標示があり順路になっている。
  
直進すると一見竪堀のような放火位置があり、かなり道が狭くなっている。抜けると台地は農地で、斜面側のみ樹木が生い茂っている。東に行くとお堂(確認しなかった)が建つ下には光明寺が見える。
  
振り向けば畑の先に案内板が立つ主郭があるので、光明寺から上がって来る道が一般的なのだろう。主郭の東側も畑になっているが、縁を歩いて散策しなかったのを悔やむ。案内板の背後から右奥にかけて堀・土塁・喰違虎口などが、よく残り整備されている。
  
二重土塁・二重堀、物見台跡の土塁上を南に行けば、東の堀、先の南端には枡形虎口が残る。土橋から堀底を西へ行く途中では、かなり埋まっているが外側の堀が確認出来る。西端は最初に直進した案内場所に出る。
  
  
  
  
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