足利氏館跡・足利学校跡 栃木県足利市
令和6年(2024)5月10日 晴 参考地形図 足利南部
案内に、館は12世紀末頃に源姓・足利義兼が築城したとされる居館。水掘と土塁に囲まれた鎌倉時代の方形居館です。鑁阿寺は、鎌倉時代初期の建久7年(1197)に、足利義兼が当地に持仏堂を建てたのが始まりとされる。鎌倉から室町時代にかけ、徐々に整備され、将軍家・鎌倉公方家などが足利氏の氏寺として手厚く庇護をしてきた。現在は本堂・鐘楼・経堂が国の重要文化財に指定、東門・西門・楼門・多宝塔・御霊屋・太鼓橋が県の指定建造物に指定されてる、と載る。
館跡の東の大道りに、無料の観光用駐車場があり、周辺にも幾つかあるらしい。駐車場から足利学校の北東角に出て西へ向かえば、学校の堀は極端に狭まり溝程度になり、土塁も切れている。さらに先には鑁阿寺の堀が見え出す。
  
まず一周すべく北に向かう。東門を過ぎた辺りの土塁の法面は、東門までの法面と南面では整備具合がやや違う。北門は通行止め、西堀を南へ向かえば西門があり、3/4周で敷地内へ。西門の内側土塁もよく遺る。
  
境内は参拝者で結構賑わっている。館跡なのでどうしても、建物より土塁などに目がいってしまう。最後に楼門・太鼓橋から足利学校跡へ向かう。
  
  
足利学校跡
足利学校の創建時期には諸説あり、奈良時代説・平安時代説・鎌倉時代の足利義兼説などあり。確実なのは室町時代中頃に関東管領・上杉憲実が学校を再興している。また16世紀初めには生徒3,000人を数え、フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されるほどになった、と書いてある。
館跡の南門から南へ行き、途中で左折すれば、入徳門のある入口に着く。門を潜れば右手が券売り場。480円払い入学証と学生証を受け取る。
  
学校門の手前左奥に霊験稲荷社が祀られている。社の右手に土塁跡が見られる。見学順路に沿って方丈・庫裏、孔子廟などの裏を廻りほぼ一周する。
  
  
外に出て東に行けば、裏門周辺の堀・土塁が整備されており、南東角辺りの景色は館跡(鑁阿寺)に引けをとらない。
  
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