茅ヶ崎城趾 散策 横浜市都筑区
令和4年(2022)2月16日 晴
センター南駅を出て左(東)に向かう。歩道を下がらずに進めば車道を跨ぎ、やや下り気味になり道路へ出る。歩道から正面に見えるこんもりとした森が城跡(公園)になる。道路に出た所は城跡の南西になるが、南は崖のようで高低差がある。茅ヶ崎城趾公園入口へは左折する。
  
緩い上り坂を西から北へ回り込む左手に寿福寺観音堂がある。駅から8分ほどで城址公園の入口に着く。入り口の案内板によれば少し先に北郭があり、そちらにも公園入口がある。階段を上った正面に中郭の北西隅の土塁が見える。
  
今は埋まってしまったが、この辺りも本来は空堀が顕著だったかもしれない。とりあえず西郭方向に行くと虎口跡の標識がある。ただ西郭の北に小さな郭(今は住宅地)が図にあるので、ここへの入り口なのか、先に続く堀に敵を移動させない遮断するものなのか知識がなく分からない。自軍はこの堀底道を使用しなかったとの意見もある。
  
堀の発掘調査の案内が建っている先の右手に西郭入り口がある。本来の入り口(虎口)ではないだろうが。郭内に立つと、南側の土塁が目立つ。北側にも土塁と思える高さが見える。
  
遊歩道以外は笹(篠)・雑草・樹木が多く、特に笹(篠)藪で全体像の判断がしづらい。遊歩道を西端に行くと南側に下り、西郭の南下を遊歩道が付けられている。土塁と標識があり、この遊歩道は郭下の空堀の跡なのか。先で虎口跡から直進してきた道に合流する。中郭の南西隅土塁が目立つ。
西郭の一風景 |
西郭南下の土塁標識 |
三叉路 正面に中郭 |
  
右下には削平地が眺められ、小さな郭があったようだ。下への階段が設けられているが、侵入禁止になっている。遊歩道の手すり元には高さ数十センチの高まりがあり、土塁跡に思える。後日、先人のHPに遊歩道の脇斜面に空堀があったようだが、見逃してしまう。右へ下れば東郭に、左は中郭へと行く。まず中郭へ向かう。本来の入口(虎口)かは分からないが、高い土塁で守られた虎口に見える。
  
発掘時の案内に北郭・中郭内側の堀調査結果が載っており、中堀と名が付けられ南虎口辺りから中心に向っている。郭内に堀があっても不思議ではないが解説はない。各郭は畑利用で改変しているようだ。南から西にかけての土塁の高さは圧倒される。
  
中郭発掘では建物の礎石が見つかり、幾棟かが平面復元されている。また陶磁器などが出てきたと案内に載っている。東郭側も土塁付近は藪が濃く堀跡が明確に分からない。北郭へ下りる虎口の土塁も顕著に残っている。
  
北郭は見た目には中郭より5〜6m下にある。トイレ前に井戸跡案内があり、上端4m・深さ5m、かなりの湧水量があったと載っている。土塁は南西のみ確認できる。
  
北郭の北下に見える道路は空堀だったようで、土橋の先には東北郭(?)と名付けられた大きな郭があった。完全に市街地化し民家が立ち並んでいる。
  
歩き始めの公園入口から道路に出て回り込むと、土橋位置に台形の壁面がある。道路が空堀跡になる。先に茅ヶ崎城趾公園の案内でよく見かける入口がある。公園化するときに緩いスロープ道を造ったらしく、北郭の東は失われている。北郭から中郭を通り南側の遊歩道に出る。東郭寄りに根小屋の標識(案内板)が建っている。
  
案内板には南麓一帯が根小屋推定地と表示されている。東郭へ向かい下りきった場所に中郭土橋の標識がある。左手上に中郭と東郭を隔てる空堀があり、通路として土橋が見えるはずだが、藪に覆われ確認できない。ただ案内に発掘結果では堀残した土橋ではなく、後世に埋めて橋とした旨が記されている。
根小屋の推定地案内 |
東郭への階段 |
中郭・東郭間の土橋案内 |
  
階段を上れば郭内に入るが、本来の入口(虎口)かは分からず。案内を見ると、東郭の方が中郭より2mほど高く位置しており、物見的な郭だったようだ。西端から空堀を確認したいが、草木が生い茂り分かりづらい。中郭との土橋跡場所も同じく。
  
北側数m下に東西に細長い腰郭があるのだが、藪に覆われ分かりづらい。わずかに東郭の端の笹の隙間から見える程度。物見的な郭だったのでは、とあるように眺めは良かったのではないか。横浜の市街地で駅近くにありながら、これだけ広く残ったのは奇跡に近い。
数m下に腰郭 |
下にある腰郭標識 |
北西に見える市街地 |
  
センター南駅 14:10(0.08)14:18 公園入り口 14;20〜14:50 30分あれば周回できる
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