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寺尾城址 散策       横浜市鶴見区
令和5年(2023)01月02日 晴

 城址近くのどのバス停からでも急坂の住宅地内を上る。車両のすれ違いに苦労しそうな道が続く。上りきった住宅地の民家脇に城址碑と説明板が建っている。
 説明板に拠れば「寺尾城は領主諏訪三河守五代(約百四十年間)にわたりこの地にあった。後北条氏に属し貫高は二百貫文(おおよそ二千石)で、北条早雲が小田原城主になる以前からすでに居城していた。永禄十二年(1569)、武田信玄が小田原城を攻めた際に廃城になったと思われる。数百年を経た今日、その遺構(空堀・土塁跡)の一部が殿山公園などに現存している。」と載っている。
途中の坂からの景色 城址碑のある住宅地 民家脇に城址碑


 城址碑から東へ行くといっそう道が狭くなる。城址碑からはやや下りになる。正面に発掘調査時の説明があるのだが、色落ちが激しくうまく読み取れなかった。説明板の背後に狭い僅かな平地が見える。
城址碑から東へ やや下る 説明板背後から急斜面 背後の僅かな平地


 公園内は施設改良工事で令和5年1月31日まで入れない。途中まで下れるが道が園内を通るため、公園下まで行くのには住宅地を大きく迂回する。竪堀跡らしいのだが、斜面は草木が生い茂り分からない。公園下から園内を見ると、両側の民家は高く、公園中央が窪んでいるのは分かる。ただ市街地の遺構は何処でもこの程度になっている。
下に向かっての斜面 階段途中から上を 公園下工事柵から



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