長尾氏居館跡・長尾砦跡・玉縄城跡・天神山城跡・大船観音 地形図 戸塚
令和6年(2024)69月12日 晴 横浜市栄区長尾台/鎌倉市植木/鎌倉市山崎
1.長尾氏居館跡・長尾砦跡
上杉謙信の祖、長尾氏発祥の地と載る。大船駅西口のバス乗り場から宮の前まで利用、手前の長尾台でも良いが、こちらがやや近い。北にある児童公園と東の参道の入口がある。南の粕尾川沿いの道からは20m位の比高がある。
  
石段の上はかなりの広さの平坦地で、南側には下に住宅地が見える。更に一段高く御霊神社が建ち、神社は長尾氏の祖先、鎌倉権五郎景政を祀る。
東端から右奥、公園あり |
南東の宅地を |
御霊神社・社殿 |
  
社殿前から下段を見れば、如何にも城跡の雰囲気がある。社の左斜面も城塁を思わせるが、社建立時の改変かも知れない。
社殿横の案内板 |
社殿前から下の平地を |
社殿左の地形 |
  
一段高い社殿に上がらず、左の小振りな鳥居から先は、これぞ城塁と思わせる地形が続く。社殿右から北に掛けて更に一段高く、社殿裏は土塁跡にも見える。周囲は宅地・畑になっている。
社殿左下の斜面(城塁) |
社殿裏の地形 |
社殿裏の土塁状跡 |
  
御霊神社裏の細い道を50m位行くと、幅狭な道路の法面に長尾砦跡の案内板が建っている。どの辺りが砦の中心部なのか見当が付かないが。案内板左上の竹藪を覗けば、城塁らしき地形が観られたが、違うだろう。案内板の右手方向が明らかに高く、行ってみたが周囲はほぼ畑で、更に西の道路へ回るが分からない。長尾砦は玉縄城の出城として機能したと伝わる。
  
案内板左奥の地形 |
案内板北からの風景 |
案内板の西道路から |
  
2.玉縄城跡
小田原北条氏の城として有名なのだが、遺構は少なく、主要部・周辺は学校・マンション・宅地になっている。七曲坂入口の右手奥にマンションが建っているが、七曲殿と言われる館の址と載っている。
  
坂には冠木門が建つ写真を見たが、現在は建っていない。途中に七曲坂虎口址があったと記憶するが、冠木門・標示も無く分からない。折れれば武者溜まりの段だある。南の開けた風景が眺められる。
  
七曲坂を登った先は平らになるが、一帯は住宅地になっている。住宅の間に大手門址が柵が設けられている。学校の敷地で部外者立入禁止。奥は一段高くなり本丸址で学校の敷地。
  
七曲坂に戻り太鼓櫓址へ。住宅前から櫓址に上がらず下に行く踏み跡程度の道がある。太鼓櫓址の南に堀切と硝煙蔵址が標示されているが、植木1号市民緑地で整備中で入れない。覗けば下方に小さな平坦地は見える。
太鼓櫓址の下辺り |
下への道があるが閉鎖 |
下の一風景 |
  
櫓址は低い三段になり、奥が高いので櫓があったのだろうか。案内板背後には土塁を思わせる高さがある。端から下を見れば下の柵から見えた平地の奥が少し眺められる。堀切・硝煙蔵址は分からず。
  
3.天神山城跡
全く文献・資料がなく詳細は不明だが、玉縄城の出城と伝わる。大船駅北口、粕尾川の上から南西に三角錐の低い山が、天神山城跡である。大船観音寺から23分ほどで北野神社参道入口に着く。参道を入って少しは平らだが奥の鳥居から石段が始まる。入口からの比高は40mはゆうにある。
大船駅北口、橋の上から |
東にある参道入口 |
ここから石段の始まり |
  
石段途中には狭い平場が見られるが、曲輪跡なのだろうか?。斜面(法面)は急で簡単に敵を登らせない。上の鳥居下からは東下に越曲輪風な景色が見える。また鳥居下の法面に斜めの古い石段が付けられている。参道が旧登城道なら、鳥居側ではなく古い石段側が虎口なのか?。
途中の急斜面 |
東下に見える平地 |
鳥居下斜面の登り口 |
  
北野神社の建つ場所は広く、鳥居の両脇に低い土塁跡がある。社殿右奥から背後に土塁状の高まり地形が見られる。土塁状の先は社殿より高くなった場所に出る。物見台でもあったのか?。東下には曲輪らしき平場があり、石段途中から下る道がある。下草は刈られ整備されており、そのまま下れば踏み跡程度になるが北側の道路に降り立つので、神社の参道なのかも知れない。
鳥居越に社殿 |
鳥居脇の低い高まり |
奥に土塁状の高さ |
  
社殿左奥の高まり |
石碑などの左地形 |
東下の腰郭かな? |
  
4.大船観音寺
大船駅から粕尾川を渡り参道入口へ向かう。参道は意外に急坂である。比高30m以上ありそうだ。山門を潜るのだが無人のため、拝観料300円を賽銭箱風なものへ入れる。順路とある右に回り込むと石段が現れ、上に像の顔だけが見える。間近で眺めると大きさが実感出来る。境内を一周し駅に向かう。
  
  
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