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 箱根路(T)二日目(湯坂路ハイキング・湯坂路入口〜湯本)
 鷹巣山(834 m) 浅間山(802.2m) 湯坂山(546.8m) 足柄下郡箱根町
 平成17年(2005)6月19日(日) 曇り/晴  参考地形図 箱根

 小涌谷笛塚の宿泊先前からバスに乗り、湯坂路入口まで行く。乗車は一区間だが、昨日通過したときにかなりの上り坂であることが分かっていたため、楽をさせてもった。バス停から数十メートル戻った場所に入口があり、湯坂路入口(鎌倉古道)と標識が建っている。バスから降りたのは私たちだけかと思ったら、他に数人降りてきて、こちらに向かってくる。入口からはゆるい下りになっている。入口にはコアジサイが一株あり、緑一色の中で唯一彩りを与えてくれている。意外に多くのモミジがあり、季節にはいい色に色づくと思えば、秋にも来てみたい気がする。数百メートル間は自動車が余裕で走れる道幅があり、事実先にはワゴン車が止まっていた。


 少しずつだが確実に道幅は狭くなり、やっと山らしくなってくる。左手には昨日の駒ヶ岳がモヤのなかに見え隠れして、駒ヶ岳ケーブルカー山頂駅もかすかに見える。緩やかに登って間もなく鷹巣城址に到着。単に尾根上の少し高まった場所と言った感じである。案内板がなければとても城跡とは気づかずに下ってしまうだろう。城の本丸なのか、見張り台跡なのか分からないが、ここが鷹巣山頂のようである。数分居ただけで下りにかかると、石畳が残っている。標高差80メートルほどで鞍部に着くと、林道が斜めに横切っている。その先には左に千条ノ滝(ちすじ)行く道がある。その先はまた緩やかに登りになり、両脇にはまだ早かった紫陽花が多く見られる。10分強で目の前が開け、良く整備された広い草地にでる。晴れていれば眺めが良いのだろうが、今日は全く期待薄である。広い草地の東隅が地図上の浅間山山頂である。そこから湯本方面へ下る道が続く。宮ノ下分岐から登ってくる人たちもかなりおり、草地の所々に思い思いに座り込んで休憩している。私たちも宮ノ下への入口近くのベンチに腰を下ろし30分程休憩。町田市から一人で来ている男性と色々と話をした。この方は70歳で毎週のように出かけていると言っていた。我々などよりよっぽど体力がある。見習いたいものだが、実行が伴わないで終わってしまう。


 浅間山を下ると遠くで機械音が聞こえ始めた。徐々に近寄ってゆくと2名で両脇の草刈りをしていた。町が依頼先なのか分からないが、こんな山中まで来て草刈りとは大変な作業だ。歩くやすくなり、利用する我々は助かるが。登山者が通る時は止めて通りやすくし、挨拶までしてくれる。なかなか感じがのいい人たちだった。やや坂が急になる手前が城山(743m)と載っている本もある。下った先が大平台分岐、ここからしばらくは幅広な平坦場所が続く。また木立の中を歩くようになる。視界はないし天気も今ひとつで雨が降らないのが救いの歩きがずっと続く。標高600メートル辺りから湯坂山の標識を確かめるべく注意をして歩いていたが、どうも見落としたらしいと少し戻ったりしたが分からずじまいだった。性分で納得できない気がするが、尾根上を歩いているので通過していることは確かである、と思いあきらめて先へ進む。昨日と今日の場所しか分からないが、箱根には他の地域の山には目障りなくらいに掛けてある山頂標識がない。


 鬱蒼とした木立の中に湯坂城址と案内板があらわれる。あらかじめ知識があってこそ、ここが城址だと分かる程度の遺構である。土塁跡と思われるものと、斜面に竪堀のような溝が見受けられたくらいだった。徐々に下りが急になってくるとともに、石畳が残っており歩きづらいことはこの上ない。しっかり埋まっている場所、浮いている場所とあり、妻は石で足を滑らせ尻餅をつくことがあった。石畳は所々なくなる場所があったが、殆ど下まで続いていた。ここの石畳は昭和の初め頃に敷いたと本にあったようだが、本当なら古いものではない。路自体は鎌倉幕府によって開かれ、江戸幕府が南に東海道を開いたために裏街道となったとあるので、せめて江戸時代くらいの石畳かと勝手に思いこんでいた。下るにつれ車の音などの下界の騒音が聞こえ始め、やっとあと少しだ、と思わず口から出てしまう。道が人の幅程度になると一気に下り、民家らしき塀沿いに行くと車道に出る。新旭橋を渡り市街地へ、土産物屋などを見て回り遅い昼食を終わらせ帰路につく。


湯坂路入口 9:52(0.20)10:12 鷹巣山 10:14(0.14)10:28 千条ノ滝分岐 10:28(0.12)10:40 浅間山 11:15(1.05)12:20 湯坂山 12:25(0.25)12:50 湯坂山城址 12:55(0.36)13:31 湯本登山口


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