膳城跡・大胡城跡・大室城跡 散策 参考地形図 鼻毛石・大胡
令和6年(2024)2月28日 晴れ
1.膳城 群馬県前橋市粕川町膳
本丸内の案内板に、築城年代は不明だが鎌倉時代の文書に善氏の名が見え、室町から戦国時代にも善氏は散見される。北条・武田・上杉の戦記物に膳の名が見えるため、今の姿は戦国時代末期と考えられる。武田勝頼の東上州攻めは「膳城の素肌ぜめ」として著名で、この戦の後廃城になったと伝えられる・・・と記されている。
粕川町歴史民俗資料館の北に城址公園があり、駐車場もある。資料館の東に粕川出土文化財管理センターが建ち、南一帯が主要部になっている。各建屋・公園部は縄張図の北曲輪になる。
  
主要部の袋曲輪・西虎口・二の丸・本丸等は整備され歩きやすい。主要部の南にも曲輪が載るが、民家などになっている。
主要部西の堀跡 |
管理センター横の土塁跡 |
管理センター横の堀跡 |
  
袋曲輪前の堀 |
袋曲輪から西虎口方向 |
袋曲輪から二の丸端を |
  
  
二の丸には土塁が確認できる。本丸との堀は深く幅が広い。本丸へは東の道路から階段が付けられ入れるが、道路は堀であったろうし、道を挟んだ曲輪からの土橋があったろう。東の曲輪跡も畑・宅地になるが、曲輪の北端に土塁・堀が確認出来る。
  
本丸にある縄張図 |
本丸北の堀 |
東の曲輪北端の堀と土塁 |
  
2.大胡城 群馬県前橋市河原浜町
案内板に拠れば、中世に大胡氏が拠ったと言われる。徳川氏の関東入部で牧野氏が入り、二代で転封後、酒井氏の前橋藩領になり城代が置かれるが、江戸中期に酒井氏転封後は廃城になる。
トンネルを抜けると二の丸で、駐車場になっている。本丸の高い法面が見応えがある。南に水の手門、本丸は高い土塁が残る。
  
水の手門の標示 |
本丸の土橋左の堀 |
本丸の土橋右の堀 |
  
南東寄りに枡形虎口があり、土塁下部に石垣が見られる。枡形虎口の東からは眺めが良い。また高低差があり法面の角度は急である。
  
重厚な本丸虎口を入ると、東寄りが一段高い。東を除き高い土塁で守られている。二の丸の北端から北の曲輪が見えるが、保育園らしく入れない。本丸虎口の南の堀底を行くと、東に下り自然の要害の川渕に出る。
トンネルを出た場所の案内 |
本丸虎口 |
本丸内の南を、奥に土塁 |
  
本丸内は二段になる |
本丸土塁を南から見る |
本丸北下の堀と土塁 |
  
本丸の北に北城(北曲輪・越中屋敷)があり、二の丸北東の堀を東に下がれば川に橋が架かるが、保育園の敷地で入れず。北端の近戸曲輪に大胡神社があり、参道前の車道は堀であったろうか。社殿裏に大きな堀が確認出来る。
二の丸端から北の曲輪 |
川に架かる橋、奥は行けない |
大胡神社入口 |
  
大胡神社 |
社殿の裏の大きな堀 |
神社石段からの北曲輪 |
  
3.大室城 群馬県前橋市西大室町
説明の概略は、築城時期は不明、15世紀後半に長尾氏(渋川市・白井城主)の支城となる。戦国期は時々の有力武将に付くが、小田原攻めに伴い廃城になる。
大室神社の建つ本丸の堀は、北西に一部で浅い堀跡が見られが周囲は道路になる。二の丸は公民館と会社らしき建物があり、トイレ後ろに土塁がある。本丸北に櫓台とあり、東と北は堀で区画される。
  
櫓台の東にしっかり残る堀がある。本丸の北には浅い堀と外側に土塁が残り、道路が堀だったとすると二重にあったかも知れない。西へ廻れば本丸を一周する。
櫓台の東の堀 |
本丸北の堀と土塁 |
本丸西の段差(道は堀跡) |
  
二の丸南の堀は大分荒れている。二の丸には低いが土塁が見られる。二の丸の北・東・南は水堀が囲んでいる。
  
  
奥が二の丸 |
二の丸東の水堀を北から |
二の丸北側の堀跡 |
  
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