富岡城址〜浅場城址 群馬県富岡市富岡/甘楽町
令和7年(2025)1月16日 晴れ 参考地形図 富岡/上野吉井
1.富岡城址(城址公園の北方)
富岡城は結城合戦に敗れた、結城持光が富岡へ逃れ、富岡氏を名乗り築城したと伝わる。富岡市別保にある城山公園の駐車場を利用させて貰う。駐車場が台地の南下にあるため斜面を九十九折りに、50m近く登らなければならない。
  
台地上は民家があり、車が通れる道路が来ている。台地の左奥が公園中心のようだが今回は行かず、正面奥に見える鉄塔辺りを目指す。諸先人さんの情報を参考にさせて戴くと、鉄塔辺りが城の中心部であるらしい。民家の横に祠のある高まりがあり、如何にも物見に適した場所に見えたが、先人さんを参考にすれば狼煙台らしい。
上の風景・奥が公園中心 |
奥の鉄塔辺りが |
物見台のような |
  
民家前から向かう道は広い尾根状になっている。鉄塔の東に細長い平地があり、曲輪の一部だったのか。鉄塔の建つ場所は広くなく斜め地形であり、改変されていても、ここがと思う場所である。周囲は丈のある枯れ草が覆い他の場所は踏み込めない。
  
帯曲輪風な所から |
城の中心部らしい |
北から中心部を |
  
2.麻場城址
戦国時代に豪族の白倉氏の居城であり、東方500mに存在する仁井屋城と併せて[白倉城]と呼ばれ、典型的な[別城一郭]と言われている。戦国時代初期の築城とされ、豊臣秀吉の小田原征伐で前田利家を総大将とする東山道群に、攻め落とされるまで370年間の活躍があった、とある。城跡の北東に駐車場あり、説明板が立っている。駐車場脇に水路か堀かは分からない溝がある。
  
整備された道を上れば堀があり北東角にでる。物見台とあり、矢倉風なものが建っているが、斜めになり使用禁止。
  
  
目の前に本丸の堀があり、橋が架けられている。土塁・堀は公園整備で復元整備されたらしい。堀は本丸を囲んでいる南の二の丸へは土橋で繋がり、本丸よりやや高い。整備された土塁が大手の南では無く、本丸側に設けられている。二の丸の南の堀はなく、公園境界の植込み辺りだったのだろうか。さらに南は農地が広がる。
  
  
  
|