平井城址・金山城址(330m) 散策 群馬県藤岡市西平井・下日野/金井
令和5年(2023)1月12日 晴 参考地形図 藤岡
1.平井城址(平井城址公園)
平井城址公園へ向かうと県道脇に立派な土塁が現れる。本丸の半分以上は私有地になり自由に歩き回れない。残存土塁かと思っていたが、復元整備されたものらしい。平井城址の遺構はほぼ宅地・農地になり残っていない。道路地図には東郭跡・笹郭跡・副郭跡・副郭土塁跡・郭U外堀跡・北内堀外土塁跡・三の丸・総郭などと載っている。
説明板には「永享10年(1438)に勃発した永享の乱に際し、時の関東管領山内上杉憲実が、総社(蒼海)の長尾忠房に命じ築城させた説と、応仁元年(1467)に上杉顕定が築城したとされる説がある。いずれにしても天文21年(1552)の後北条氏に平井城攻めで落城するまで、関東管領山内上杉氏の居城としての役割を果たしていた。
城の構造は「庚申堀」と賞される堀をめぐらし、西平井の村落を取り込んだ「惣構」と呼ばれる構造で、城域の南端部の鮎川左岸の切り立った崖の上に、土塁及び堀によって区画された通称本丸(主郭)があり、その西側に二の丸・笹曲輪(副郭)が配されている。
なお平井城の背後には有事の際の要害城である金山城を「詰の城」として配置し、周辺は帰属する国人や配下の武将が築いた御嶽城(金鑚神社近く)・東日野金井城・一郷山城・東平井の砦・飛石の砦などの多くの城や砦により守られていた。」と記載されている。
  
本丸内には多くの上杉氏関連の碑が建っている。駐車城側には堀跡・土塁跡の標柱がある。後日掲示板の画像を見ると、石列で土塁跡を標示していたようだ。
上杉氏関連碑 |
駐車場西の堀跡標示 |
駐車場西の土塁跡標示 |
  
駐車城のトイレ北側に窪みがあるが、堀跡だったように思える。車道に出て土塁の南には、自然地形を利用した堀跡が確認出来る。車道の北から東に回り込むと東の郭にでられる。復元された堀と木橋がある。
駐車城北側の堀跡か? |
復元土塁の南の堀 |
本丸から東の郭を |
  
鮎川に落ちる竪堀跡が石組で再現されている。掲示板では本丸北側は堀が二重になっており、二重目の堀が窪んだ溝程度に分かるが、整備段階で目印としての造りかも知れない。
  
車道から西へ入る道は二重目の堀跡のようで、先では二の丸西の堀跡が南に延びている。車道には総郭跡・三の丸と総郭の境などの標示があるが、遺構は確認出来ない。住民の話では、○○さん家の何々と幾つも上杉関連の品を言ってくださったが、時間が押しているため訪問できず。また金山城を出城と呼んでいたのが印象深い。
  
2.金山城(金山城址公園)
藤岡市立日野小学校前に平井詰(金山)城址登山口があり、広い駐車場が設けられている。城域の大方は平井金山城址公園として整備されている。この登り口が本来の登城道なのか分からないが、大手口が北に書かれているので、搦手口かも?。林の中を登ると「主郭まで700m」の標示が出てくる。
  
先では数段の石積み平坦地が現れるが、当時の遺構ではなく近年の畑地跡らしい。道が変わり登山・ハイキングの様相になって急坂を登れば尾根にでる。幾つもの標識が立ち、右手が物見台跡とある。
  
案内のように石段・石積みが確認出来る。物見台先端からの北から東にかけて眺めは、落葉した木々がやや多くあまり良くない。当時は周囲が伐採され、広範囲に物見が可能だったのだろう。
  
今は物見台先端より標識のある場所の方がよい。西へ行くと淺堀とある堀跡があり、上には大分変形しているが虎口跡の標示がある。
  
ジグザグにやや登ると三の丸になるが、この東端を下の案内では物見台跡としている。途中に「清水刻岩」の標示があり、傍らに平たい岩に何か刻んであるが判読できない。城兵に清水の湧く場所を示す道標と書いてある。
  
二の丸を通過し本丸手前には縄張図と史跡の石柱が建つ。上り加減の先が本丸となる。周囲に土塁らしきものを確認出来ない。隅に避難小屋が設けられており、近くに模擬天守の建つ一郷山城が見えるとあるが、木々が多く分からなかった。南斜面に自然石を利用した石組み案内もある。
  
  
北に下れば腰郭と虎口跡・土橋がよく遺り、土橋先は広い平坦地を数段にた郭がある。
  
郭先端で井戸郭と大手門方向の分岐になり、左は土橋を渡り井戸郭になる。ここも避難小屋が建っている。郭の南、数m下に井戸跡が復元されている。湧水とは考えづらく、籠城時に下から汲み上げたと載るが、飲料水を賄えたとは思えない。
  
戻り大手門方向へ行くと、尾根を掘り切った櫓門跡に着く。門の周には石積み跡が残っている。櫓門跡の先には左斜面に堀跡があるが、右は斜面で切れ落ちているので土橋状になっている。
  
  
さらに道は下って櫃岩(かろうといわ)が現れる。大きく目立つ存在ではある。道は岩の右下を通っているが、上の尾根(小さな細長い郭状)から側に行ける。次に表城門跡・大手門跡と標示があり、柱穴が下に埋め戻されてようだ。現状では狭い道にどのような門だったか想像がつかない。下はゴルフ場の道路があり、ゴルフをする人の声が聞こえる。大手門下には害獣除け電気柵が張られている。下へは電気柵が拒んでいるかのようで、登り返し駐車城に戻る。
櫃岩(かろうといわ) |
岩を細い郭から |
西にもゴルフ場 |
  
  
|