武士城跡(54.4m) 参考地形図 伊勢崎
令和5年(2023)9月25日 晴れ 伊勢崎市境町
伊勢崎市境町関連のHPを参考。岩松氏の陣僧・松蔭が残した文献[松蔭私語]の内容に多く拠るらしい。岩松明純(岩松家純の子)が拠った城である。文明9年(1477)長尾景春の乱の際、山内上杉勢の籠もる五十子陣は景春の軍勢に包囲され陣を撤退する。岩松明純は上杉勢として戦うが、金山城に退く時に一時武士城に入る。利根川を挟んだ南5㎞ほどに五十子陣はあり、乱の際に取り立てられた陣城であったものといわれる。北条氏時代は金山城主由良氏の家臣根岸三河守の居城だったが、豊臣秀吉の北条攻めにより、金山城は落城し武士城も廃城となる。保育所の西にある堀は堀跡で、元は北に延びており、水遊びや魚捕りをしたらしい。今も御嶽山の東に[舛形]という小字名が名残りである、と記されている。
地元では御嶽山(オンタケサン)と呼ばれているらしい。福祉センター・特養ホームの間に、境御嶽山自然の森公園の駐車場が設けられている。公園内の平地中央には曼珠沙華が咲いている。
駐車場側から西の段差 |
広い平地 |
広い中央部に彼岸花 |
  
南は一段高くなっているが、さほどの高低差ではなく、要害としては心もとない。段差西にはほたる池があり、水をたたえている。水を確保するにはよいが。さらに西は低くなり粕川が流れ、天然の要害になっている。川と高台の間は広い草地になっている。
  
南に回り込むと如何にも切り岸、土橋風な地形が現れる。上れば一面に曼珠沙華が咲いている。東側にも虎口らしき地形が見られるが、元々の地形かも知れない。地域のHPの、保育所の西にある堀は堀跡で、元は北に延びており、水遊びや魚捕りをしたらしい。とあるが事前の情報が無かったため確認しなかった。
  
一見虎口を思わせる |
一段高い一帯も彼岸花 |
最高所 54.4 |
  
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